歴史上の人物

そのころの人々 - 794年 ~ 1192年

794年 ~ 1192年

平安時代の人物

794年 ~ 930年

平安前期の人々

徳一(749年~?)

法相宗を学び、最澄に論争を挑み、空海の教義に疑義を呈した僧

血筋
藤原仲麻呂の子?
事績
782年 筑波山 大御堂 創建
清瀧寺の観音堂を龍ヶ峰山頂から山の中腹に移転
807年 佐竹寺 創建

坂上田村麻呂(758年~811年)

平安時代の武官で、陸奥国の蝦夷に対する戦争で征夷大将軍として総指揮をとり、801年に敵対する蝦夷を降した

血筋
坂上苅田麻呂の次男(「坂上氏系図」)または三男(「田邑麻呂伝記」)
坂上氏は後漢霊帝の後裔と言われる百済の阿知使主(あちのおみ)を祖とする渡来系の「東漢氏」の一族
出生地
大和国添上郡坂上(坂上氏の本拠地)
現在の福島県郡山市田村町徳定という伝説もある
事績
延暦年間(782年~806年) 東国遠征の途中に星谷寺に立ち寄り、戦勝を祈願
791年 正法寺 の地の悪龍を退治
806年 安楽寺 創建
807年 清水寺(坂東32番)奥院、本堂建立

最澄(774年~835年)

伝教大師の諡号で慕われる天台宗の開祖

血筋
渡来系 - 先祖は後漢最後の孝献帝
出生地
近江国滋賀郡古市郷
事績
784年 楠の霊木で十一面観音菩薩を刻み 笠森寺 に安置し開基となる
800年代初頭 清水寺(坂東32番)奥院本尊となる十一面観音菩薩制作

空海(774年~835年)

弘法大師の諡号で慕われる真言宗の開祖

血筋
佐伯氏(父は郡司 佐伯直田公、幼名 真魚)
出生地
讃岐国多度郡屏風浦
事績
806年西明寺 来山、法相宗の僧に岩屋に幽閉されるも独鈷で難回避
807年

長谷寺(飯山観音)の創建に関わる

日輪寺 再建

810年 大谷寺 の本尊となる石崖仏を刻み開基となる
810年頃、現在の大御堂を大御堂真言密教の霊場として知足院中禅寺と号す
810年頃、円福寺 本尊開眼法要
814年 弘明寺大聖歓喜天 を彫刻し安置
820年 満願寺 参詣 千手観世音菩薩 造立

嵯峨天皇(786年~842年)

第52代天皇(在位:809年~823年)

血筋
桓武天皇の第二皇子で、母は皇后藤原乙牟漏。同母兄に平城天皇。異母弟に淳和天皇。皇后は橘嘉智子(檀林皇后)
事績
821年 楽法寺に、法華経を書写奉納し降雨祈願、 霊験あり、勅命により山号を雨引山と定める

円仁(794年~864年)

第3代天台座主で慈覚大師(じかくだいし)ともいう

血筋
壬生氏(毛野氏の一族)
出生地
下野国都賀郡壬生町
事績
807年 清水寺(坂東32番) 創立 13歳にして...すごい
824年~834年 このころ 慈光寺 に多羅葉の木を植える
825年 北向観音 開創
838年~847年 入唐求法
838年 龍正院 開山 入唐求法の直前に...超多忙
851年 十一面観音像を制作し杉本寺に安置
853年 日輪寺 巡錫
857年 浅草寺のお前立本尊(聖観世音菩薩)を制作し安置 → 浅草寺中興開山

930年 ~1068年

平安中期の人々

源信(942年~1017年)

天台宗の僧で恵心僧都(えしんそうず)と尊称される

血筋
父は卜部正親、母は清原氏
出生地
大和国北葛城郡当麻
事績
985年 十一面観音像を制作し、 杉本寺に安置

花山天皇(968年~1008年)

第65代天皇(在位:984年~986年)

血筋
冷泉天皇の第一皇子、母は摂政太政大臣藤原伊尹の娘
事績
988年 摂津国の中山寺で徳道が石棺に納めた観音霊場三十三ヶ所の宝印を探し出し、 宝印の霊場を巡礼したことで西国観音霊場を再興
990年 岩殿寺参拝

このころ 清瀧寺を巡錫、観音像を山頂から山麓に移す?

1068年 ~ 1192年

平安後期の人々

源義康(1127年~1157年)

足利氏の祖で鳥羽上皇に仕えた北面の武士

血筋
源義国の次男、祖父は源義家
異母兄は新田氏の祖の義重
妻は熱田宮司の養女で源義朝とは相婿
出生地
下野国
事績
1140~50年代ごろ足利の地に居館を構える

後白河天皇(1127年~1192年)

第77代天皇(在位:1155年~1158)

血筋
鳥羽上皇の第四皇子、母は中宮・藤原璋子
二条天皇、高倉天皇の父
事績
1174年 岩殿寺参拝

田代信綱(? ~ ?)

源頼朝の挙兵に従った平安末期の武士

血筋
父は藤原為綱(伊豆国の国守),母は狩野工藤介茂光の娘
後三条天皇の末裔ともいわれる
事績
1192年 白花山普門院田代寺(安養院田代寺の前身) 創建

藤原景清(? ~1196年)

平家の侍大将で「悪七兵衛」の異名を持つほど勇猛な武将

平家の都落ちの戦で最後の壇ノ浦まで従ったため、俗に平姓で平景清とも呼ばれている

血筋
藤原秀郷の子孫の伊勢藤原氏(伊藤氏)藤原忠清の七男
事績
月山富田城築城

足利義兼(1154年~1199年)

足利氏の第2代当主で鎌倉幕府の御家人

血筋
父は源義康
母は熱田大宮司の養女(実孫を養女とする)
妻は北条時政の娘時子、北条政子の妹
源頼朝とは母、妻のつながりで強い姻戚関係
三男に家督を継いだ義氏
出生地
下野国足利庄
事績
1196年 足利の居館に持仏堂を建立

義兼の戒名の鑁阿から後にこの居館が鑁阿寺となる

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