歴史上の人物

そのころの人々 - ~ 794年

~ 794年

神話の世界から古墳時代、飛鳥時代、奈良時代の人々

~ 593年

神話、古墳時代の人々

593年 ~ 710年

飛鳥時代の人々

聖徳太子(574年~622年)

大陸の進んだ文化や制度をとりいれて天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った皇族の政治家

仏教を厚く信仰し興隆に尽力

血筋
用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女
蘇我馬子は叔父
出生地
飛鳥 橘寺の地
事績
702年 潮汲みの海女が金目川河口で感得することになる 光明寺(金目観音)の本尊となる観音像を制作
佐竹寺 の本尊となる十一面観音像を制作

玄奘(602年~664年)

唐代の中国の訳経僧で、三蔵法師は尊称

俗名は陳?(チンイ)

血筋
陳氏は後漢の陳寔を祖にもつ士大夫の家柄で地方官を歴任
出生地
洛陽近くの?氏
事績
629年 陸路でインドに向かい巡礼や仏教研究を行う
645年 経典657部や仏像等を持って帰還
その後、大慈恩寺にて経典の翻訳事業をおこなう
652年 大慈恩寺に大雁塔が建立され、持ち帰った経典や仏像などを保存する

慈覚大師円仁が入唐求法時に大慈恩寺で修学

藤原鎌足(614年~669年)

日本最大氏族「藤原氏」の始祖

当初、中臣鎌子と名乗り、その後、鎌足に改名

臨終に際して大織冠とともに藤原姓を賜る

血筋
中臣氏の一族
母方の祖父は高蔵寺の地を治めた猪野長官
出生地
大和国高市郡藤原
常陸国鹿島という説もある
事績
650年 高蔵寺 本堂、阿弥陀堂、三層の塔、輪蔵、鐘楼、仁王堂等を建立

役小角(634年~701年)

呪術者で修験道の開祖

役行者とも呼ばれる

血筋
加茂氏(賀茂氏、鴨族系)

カモ = カミ につながり、古代の神を祀っていた氏族

出生地
大和国葛城上郡茅原村
事績
673年 日輪寺 創建
700年 長谷寺(白岩観音) 開基

710年 ~ 794年

奈良時代の人々

徳道(656年~735年+α)

三十三箇所観音霊場巡礼の開基者

血筋
辛矢田部氏(土地の有力豪族)
出生地
播磨国揖保郡矢田部郷
事績
721年 岩殿寺 創建
736年 藤原房前の招聘により 長谷寺 創建

行基(668年~749年)

国家機関が民衆への仏教布教活動を禁じた時代に、禁を破り広く仏法の教えを説き人々より篤く崇敬された高僧

その後、日本で最初の大僧正(最高位)として聖武天皇により招聘される

血筋
高志才智の長子
高志氏の祖先は百済王子の王爾(王仁)という
出生地
河内国大鳥郡
事績
709年 千葉寺 の地に観音像を刻み安置
717年 那古寺 の地で千手観音像を刻み安置
728年 清瀧寺 の聖観音像を刻み龍が峰山頂の滝口に安置
天平年間(729年~749年)

星谷寺 創建

円福寺 本尊となる十一面観音菩薩を厨子に奉納

このころ現在の 安楽寺 の地に聖観音像を刻み岩窟に納める

長谷寺(白岩観音)の地の柳で十一面観音像を刻む

創建から数年後(730年前後?)の 岩殿寺に十一面観音像を安置
734年 杉本寺 を藤原房前とともに建立し、十一面観音像を制作
737年

西明寺 開山

弘明寺 開山

藤原房前(681年~737年)

藤原北家の始祖

血筋
藤原不比等の次男
兄弟で藤原四家を興す
  • 藤原南家-長男:武智麻呂
  • 藤原北家-次男:房前
  • 藤原式家-三男:宇合
  • 藤原京家-四男:麻呂
事績
734年 光明皇后の御願を受けて 行基菩薩をして杉本寺建立
736年 徳道を招請して 長谷寺 創建

光明皇后(701年~760年)

聖武天皇の皇后で、初の皇族以外からの皇后

血筋
藤原不比等と県犬養三千代(橘三千代)の娘
聖武天皇の母である藤原宮子は異母姉
事績
730年 聖武天皇とともに、楽法寺(雨引観音)を 安産祈願の根本道場と定めて勅願寺とする
734年 杉本寺 御願により建立

道鏡(700年~772年)

祈祷の力をもって孝謙天皇に取り入って権力を握り、政治に容喙した僧

血筋
弓削氏(物部氏の一族)
出生地
河内国若江郡
事績
770年 勝福寺創建

勝道(735年~817年)

男体山を初めて極めるなど山岳仏教の先鞭をつけ日光信仰と文化の原点を築いた僧

血筋
若田氏(下野介若田高藤の子)
出生地
下野国南高岡郷
事績
765年 満願寺 開山
784年 中禅寺 創建
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