この世の歴史

その当時の出来事 - 1501年 ~ 1800年

1501年 ~ 1800年

室町時代後期から安土桃山、江戸時代

1501年 ~ 1600年

室町時代後期から安土桃山時代

1501年
1504年にかけて 龍正院 の現在の仁王門再建
1512年
長野業尚 箕輪城 築城
1518年
伊勢氏綱(北条氏綱) 伊勢氏の本拠を小田原城に移す
1519年
武田信虎 躑躅ヶ崎館 の構築を始める
1524年
北条氏綱 江戸城 を支配下に置く
1546年
佐竹義昭が佐竹城の鬼門除けとして 佐竹寺 再建
1552年
足利義輝、尼子晴久を山陰山陽八ヶ国守護に任命
1555年
武田信玄 御本尊様を含め 善光寺 を組織ごと甲斐府中に移す
1564年
北条氏邦鉢形城に入城
1566年
尼子義久、毛利氏の包囲に兵糧尽き、月山富田城 落城
武田軍により 箕輪城 落城、箕輪長野氏滅亡
1569年
尼子遺臣 山中鹿之助 尼子再興軍を催して月山富田城を攻めるも失敗
1570年
このころ 清瀧寺 兵火で焼失
1575年 長篠の戦い
1580年
武田勝頼 世無道に命じて 長谷寺(白岩観音)再興
1582年
武田勝頼 甲斐国政務拠点を躑躅ヶ崎館 から新府城に移転
河尻秀隆 武田氏滅亡後、躑躅ヶ崎館 で政務をとる
北条氏 箕輪城 侵攻攻略、 北条氏邦 入城
1583年
徳川家康の命により平岩親吉が 甲府城の築城を開始
1584年
北条氏政 金山城を謀略により開城、北条氏支配下に置く
1587年
北条氏政 山中城 改修工事開始
北条氏照 八王子城築城、滝山城より拠点を移す
1590年 徳川家康 関東入部
躑躅ヶ崎館 築城された甲府城 への政務機能移転に伴い実質廃城となる
羽柴秀勝 甲府城 城主となる(家康関東へ移封)
徳川家康 浅草寺を徳川家祈願所とする
笠間氏の滅亡とともに、正福寺 衰退に向かう
山中城 豊臣軍の攻撃により半日で落城
鉢形城 豊臣、徳川連合軍に包囲され1ヶ月の篭城戦の後に開城
八王子城 秀吉の小田原征伐軍に攻められ落城
北条氏直 小田原城 開城、徳川家臣 大久保忠世 城主となる
八王子城 新領主の徳川家康により廃城となる
井伊直政 箕輪城 入城(12万石)
1591年
加藤光泰 甲府城 城主となる
徳川家康 慈恩寺 に寺領を寄進
徳川家康 正法寺 寺領として25石の朱印地を寄進
1593年
浅野長政、幸長 甲府城 城主となる
1594年
佐竹義宣 江戸氏を敗走させ水戸城に入城、居城とする
1598年
豊臣秀吉 善光寺 御本尊様を京都方広寺から善光寺に戻す
井伊直政 高崎城に移封にともない 箕輪城 廃城

1601年 ~ 1700年

江戸時代前期

1602年
武田信吉 水戸城 城主となる(15万石)
1603年 江戸幕府成立
徳川義直 甲府城 城主となる(城代平岩親吉、25万石)
徳川頼宣 水戸城 城主となる(20万石)
1607年
徳川家康 長谷寺寺院再興
1609年
徳川頼房 水戸城 城主となる(25万石)
1611年
堀尾吉晴 松江城を5年の歳月をかけて完成
堀尾忠晴 松江城に移り 月山富田城を廃城
秀慶法印 安楽寺 本堂再建
1616年
徳川忠長 甲府城 城主となる
1617年
土井利勝 佐倉城を足かけ7年の歳月をかけて整備、拡張
1634年
天海大僧正 慈恩寺に千手観音像を納める
京極忠高 若狭国小浜藩(若狭・越前敦賀郡)より出雲・隠岐両国26万石で入封し松江城主となる
1638年
松平直政 信濃国松本藩より出雲松江18万6千石で入封し松江城主となる
1657年
江戸城 明暦の大火により天守を含めた城構の多くを焼失
1678年
徳川綱豊 甲府城 城主となる
1680年
安養院 火災で焼失、後、田代寺をここに移築して復興(田代観音の坂東3番霊場を継承) 安養院田代寺となる
1688年
このころ 清瀧寺 現在地に本堂再建
1696年
徳川綱吉 龍正院 の現在の本堂建立

1701年 ~ 1800年

江戸時代中期

1703年
元禄大地震で 那古寺 堂塔伽藍全壊
1705年
柳沢吉保が甲斐国を受領、甲府城 城主となる
1707年
善光寺 現在の本堂落成
1709年 家宣 第6代将軍就任
長谷寺(飯山観音) 仁王門、金剛力士像建立
1724年
柳沢吉里が大和郡山へ転封、天領となり 甲府城 に甲府勤番を設置
1728年
岩殿寺観音堂再建(逗子市の重要文化財)
1750年
この頃 水澤寺 33年にわたる大改築を行い現在の本堂、六角堂を建造
1787年 家斉 第11代将軍就任
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