歴史上の人物

そのころの人々 - 1192年 ~ 1333年

1192年 ~ 1333年

鎌倉時代の人々

1192年 ~ 1274年

鎌倉前期の人々

源頼朝(1147~1199)

鎌倉幕府の初代征夷大将軍

血筋
源義朝の三男
正室は北条政子
子は頼家、実朝
事績
1180年

石橋山の合戦に敗れて観世音菩薩のお蔭で房州洲崎に逃れたことから 岩殿観音を生涯の守り本尊に

浅草寺に寺領寄進

1191年

杉本寺再興

長谷寺(飯山観音)大寺となる堂宇を建立

慈光寺 に寺領として1200町歩を寄進

鎌倉初期 比企能員に命じて 正法寺 を復興

北条政子(1157~1225)

鎌倉幕府の初代将軍源頼朝の正室 頼朝とは10歳違い

血筋
伊豆の豪族 北条時政の長女
出生地
伊豆国韮山
事績
1192年 光明寺(金目観音)に安産祈願し、無事、実朝を出産
1225年 長楽寺(安養院 田代寺の前身)創建 最晩年のことですね

土肥遠平(? ~ 1237年)

鎌倉幕府御家人 小早川氏の祖

血筋
土肥実平の嫡男
平家滅亡後、その功により安芸国沼田荘等の地頭となり、養子の景平に小早川姓を名乗らせて沼田荘を相続
土肥宗家を継いだ嫡男の維平は和田合戦に敗れ処刑
出生地
相模国土肥郷
事績
平安時代末期 小早川村に小田原城の始めとなる居館を構築

佐々木義清(1160年以降 ~ ?)

鎌倉幕府御家人で出雲源氏の祖

血筋
佐々木秀義の5男
兄は、定綱、経高、盛綱、高綱
出生地
相模国高座郡渋谷荘
事績
1221年 承久の乱の功により、出雲・隠岐2国の守護となり、 月山富田城に入る

佐々木信綱(1181~1242)

鎌倉幕府の御家人

血筋
佐々木定綱の4男
近江守護を務めた近江源氏総本家を継ぐ
正妻は北条義時の女で、4人の子の子孫はそれぞれ大原氏、高島氏、六角氏、京極氏となる
事績
1227年 星谷寺 梵鐘勧進鋳造

足利義氏(1189~1255)

鎌倉幕府の御家人で足利氏の第3代当主

血筋
足利義兼の三男
母は北条政子の妹の北条時子
源頼朝は義理の伯父にあたる
出生地
下野国足利庄
事績
1234年 足利の居館の地に伽藍を整備、足利氏の氏寺とする

安達義景(1210~1253)

鎌倉幕府の有力御家人、秋田城介

血筋
安達氏(藤原氏の末流)
祖父:盛長(1135~1200)、父:景盛(?~1248)
景盛以降、秋田城介の官を世襲
北条執権家の外戚として有力御家人の地位を確立
事績
1190年~1199年 源頼朝 の命により 長谷寺(飯山観音)に大寺となる堂宇を建立

この年代に義景はまだ生まれてないので、頼朝が命じたとすれば父の景盛か?

1274年 ~ 1333年

鎌倉後期の人々

足利貞氏(1273~1331)

鎌倉幕府の御家人、足利氏当主

血筋
足利家時の嫡男
次男は家督を継いだ足利尊氏
三男は足利直義
事績
1299年 鑁阿寺 本堂を再建
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