日本の名城とその歴史

日本100名城巡り - 小田原城

23番 小田原城

北条五代の栄華を支え、難攻不落を誇った名城

時代の変化に対応できず小田原評定で開城、滅亡の憂き目に

徳川の世では関東最前線の要衝箱根を守護する重要な役目

江戸期は東海道有数の城下町、宿場町としても大層な賑わい

再建された天守を見上げながら往時が偲ばれる

由緒

築城
平安時代末期 土肥遠平の居館として構築
歴代主要城主
土肥氏、大森氏、北条氏、 大久保氏、稲葉氏、大久保氏
変遷
1454年 この頃 大森氏 城を築く
1495年 伊勢宗瑞(北条早雲) 大森氏から小田原城を奪取
1518年 伊勢氏綱(北条氏綱)伊勢氏の本拠を小田原城に移す
1590年 北条氏直 小田原城開城、徳川家臣 大久保忠世 城主となる
廃城
1870年 廃城

登城記

登城日
2014年 5月 9日
いい天気だったのでどうしようかと思ってたところで思い立って登城
交通
小田原駅から徒歩10分
以下雑記

小田原駅東口から見た小田原城

駅を出るとすぐにお城が見えます

駅近なので思い立ったところで決行しました

二の丸東堀

駅から歩いていくとここに出ます

幅は最大で40mだとか

城の大きさを感じさせます

東堀にかかる学橋

昔はなかったそうです

駅から来るとここから城内に入ることになります

学橋をわたったところが二の丸御殿跡

藩主の居館や行政を行う政庁があったところ

二の丸から本丸へのアプローチ

常盤木門

石段を上ると現れます

本丸の正門です

そばにあった巨松になぞられてこの名が付けられそうです

1971年に復興されました

本丸御殿跡

徳川将軍家の旅宿

1633年 家光上洛時に建設

1703年 地震火災で焼失

その後再建なしとか

天守閣への石垣でできた階段

江戸時代の姿も同じだったそうです

天守閣からの展望

石垣山(笠懸山)方面

突然の一夜城を見てどう思ったか?

天守閣から見た小田原駅

近いのでよく見えました

銅門へ

二の丸の正門にあたるもの

大扉の飾り金具に使われた銅から銅門の名前になったとか

銅門は1997年に再建されました

そのときに参考にした土塀模型と礎石です

銅門広場には小田原市天然記念物のビャクシンもあります

銅門を抜けると枡形に

枡形から振り返った銅門

枡形を出て住吉橋を渡って馬屋曲輪へ

馬屋曲輪から見た銅門方面

御茶壺曲輪から見た住吉橋、馬屋曲輪方面

馬屋曲輪から馬出門を通って外へ

馬出門、内冠木門、土塀で囲む枡形門の構造になっています

2009年に復元されたものです

二の丸平櫓

ちょっと小ぶりな感じ

予算の関係で、関東大震災前まで現存していた櫓の 1/2 の大きさで復元されたとか

1935年のことで、ここから小田原城の復元整備が始まったとも言えるので感慨深い

報徳二宮神社

1894年 二宮尊徳翁の教えを慕う報徳社の総意により翁を御祭神として創建

江戸時代に小峯曲輪と呼ばれた地にあります

この地が造成されたのは北条氏の時代だそうです

馬屋曲輪から見えていた立派な建物

なんだろうと思って確認しにいったら小学校でした

1995年に完成した校舎だそうで数々の賞を受賞しています

外郎家

お城近くの1号線沿いにあります

中国時代を含めると2000年以上、小田原に来ても500年の家系だそうです

帰り道に小田原駅近くの北条氏政、氏照墓所にお参り

右から氏政夫人、氏政、氏照の五輪塔

五輪塔の前には、ここで氏政、氏照が自刃したと言われる生害石

当主氏直もつらかっただろうな

なお、氏照の墓(供養塔)は八王子城跡近くにもあります

城跡概略

所在地
神奈川県小田原市城内6-1
最寄駅
東海道線 小田原駅
開城時間
9:00~17:00
9:00~18:00/6~8月の土日・祝日
登閣料
410円/天守閣単独券
600円/天守閣と歴史見聞館との共通券
100名城スタンプ
天守内
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小田原城
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