日本の名城とその歴史

日本100名城巡り - 八王子城

22番 八王子城

北条氏照の夢をかけ難攻不落を目指して新たに築城した山城

城主不在の中、秀吉軍に攻めたてられ、あえなく落城

小田原評定もこの落城を聞き、小田原城開城をやむなく決議

評定に参加していた氏照の無念はいかほどだったか

北条氏滅亡の端緒はこの広大な山城の築城からとも

本丸登城にはちょっとした登山の覚悟が必要です

由緒

築城
1587年 北条氏照により築城、滝山城より拠点を移す
歴代主要城主
北条氏照
変遷
913年 華厳菩薩妙行がこの地の山頂に八王子権現を祀る

山頂で修行中に牛頭天王と8人の王子が現れたのが因縁で、このことにより八王子の名がつけられる

1590年 秀吉の小田原征伐軍に攻められ落城
廃城
1590年 新領主の徳川家康により廃城となる

登城記

登城日
2014年 5月10日
前日の小田原城に続き、最重要な支城の八王子城にでかけました
交通
行き:高尾駅から徒歩1時間弱
帰り:八王子城跡バス停からバス10分で高尾駅
以下雑記

天気も良かったので高尾駅から歩くことに

途中の多摩森林科学園や武蔵陵墓地を抜ける高尾街道も気持ちがいい

その途中に廿里古戦場跡

北条氏照軍がここでの戦に敗れ当時の本拠の滝山城が陥落寸前に

この敗北で八王子城築城に動き、本拠を移転

高尾街道から別れて城跡に向かう途中に氏照のお墓が

私有地のようなところを通っていくので多少の不安

この供養塔は氏照100年忌の追善供養のために建立

建立者は家臣中山勘解由の孫にあたる水戸藩の家老

氏照墓所は氏政とともに小田原にあります

八王子城ガイダンス施設

ちょっと歩き疲れたところだったのでほっと一息

小奇麗な休憩スペースがあり、持ってきたおにぎりで昼食

置いてあった各種八王子城関連資料を見ながら攻略ルートを研究

ガイダンス施設から城跡公園の途中にはガイダンス広場が

ここには八王子城地形模型があります

山頂の本丸への登城(登山?)の始まりです

金子曲輪

尾根をひな壇状に何段も造成して防御したと言われてます

柵門台跡

山頂の本丸方面へ続く道の尾根上築かれた平坦地

麓から本丸へ登る道は複数あり、それらの道の合流地?

高丸の案内

危険とのことなので向かわずですが

ここまでくると9合目だとか

高丸を過ぎると八王子市街から都心方面に素晴らしい眺望が開けます

眺望の道を過ぎると東屋があります

ここは中の曲輪と呼ばれるところでしょうか

このあたりから本丸を守護する曲輪群が築かれたようです

八王子神社

中の曲輪のすぐ上にあります

牛頭天王の8人の子(八王子)を祀っています

この八王子神社の地に築いたことが八王子城の名の由来

近くに鴉天狗もいました

松木曲輪

二の丸にあたります

後に子孫が水戸藩家老となった中山勘解由が守ってました

ここからも都心方面の眺望が見事です

本丸跡地

八王子城本丸址の石碑と小さな社

社は本丸を守備していた横地監物を祀る

頂上に造った平地だからか結構狭い

本丸と言えどもどれほどのものだったか

小宮曲輪

ここは三の丸にあたるところです

朽ち果てた建物が残されてます

この廃屋は御岳神社だったとか

石の鳥居から観音堂へ

下りは何故か登りとは違う道に降りていってしまいました

降りたところはあしだ曲輪

御主殿方向に道が伸びてます

このあたりは立入禁止とか

でも上から来ると気がつかない

この後管理棟へ降ります

御主殿への古道

大手の門があったあたりから

この先の御主殿跡への曳橋通行止めのためここで引き返します

御主殿の滝

林道を御主殿方向に歩いていくとありますが、思ってたよりかなり小さいです

落城時に御主殿にいた女性、子供、将兵は城山川にかかる橋の上で自刃しました

そしてその後その人々は次々と川に身を投じたと言われます

その血で川の水は三日三晩赤く染まったそうです

御主殿跡

氏照の執務場所

礎石、庭園遺構発掘

茶道具等遺物も多数

奥の居住区は未発掘

御主殿入口の冠木門

当時の門をイメージし復元

冠木門に続く御主殿虎口

当時の石垣、石畳を復元

一部には築城当時の石垣も

古道から御主殿虎口への曳橋

現在通行禁止

管理棟がある八王子城跡入口とそのすぐ近くの結構広い駐車場

城跡概略

所在地
八王子市元八王子町3丁目
最寄駅
中央線 高尾駅
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八王子城跡
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