歴史上の人物

そのころの人々 - 1333年 ~ 1603年

1333年 ~ 1603年

室町から安土桃山時代の人々

1333年 ~ 1467年

室町前期の人々

江戸通房(1410年~1465年)

常陸国の国人領主江戸氏当主

血筋
鎮守府将軍 藤原秀郷の流れ
祖父の通高の代に那珂郡江戸郷を封ぜられ江戸氏を称する
武蔵江戸氏とは別の家系
出生地
常陸国河和田
事績
1426年 大掾氏を敗り馬場城(水戸城)城主となる

太田道灌(1432年~1486年)

武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰で、諱は資長

血筋
摂津源氏の流れで、太田資清の嫡男
長尾景春は母方の従兄弟
出生地
相模国鎌倉?
事績
1457年 江戸城 築城
1478年 長尾景春の鉢形城を攻め落城、主君の上杉顕定が入城

長尾景春(1443年~1514年)

白井長尾家を継いだ武将で関東下剋上時代の雄のひとり

血筋
長尾景信の嫡男
太田道灌は母方の従兄弟
出生地
上野国白井(群馬県渋川市)
事績
1476年 鉢形城を築城

1467年 ~ 1575年

室町後期の人々

北条氏綱(1487年~1541年)

北条氏を称し領国を伊豆、相模から武蔵、下総、駿河にまで拡大させた武将

血筋
北条早雲(伊勢新九郎盛時)の嫡男
嫡男は北条氏康
出生地
駿河国駿東郡?
事績
1518年 北条氏(伊勢氏)の本拠を小田原城に移す
1524年 江戸城 を支配下に置く

武田信虎(1494年~1574年)

混乱していた甲斐国内の統一、対外勢力との和睦を確立させ戦国大名としての武田氏の地位を築く

血筋
甲斐源氏武田氏の第18代当主
嫡男は武田晴信(信玄)
出生地
甲斐国山梨郡石和
事績
1519年 躑躅ヶ崎館の構築を始める

北条氏康(1515年~1571年)

北条氏3代当主、関東の政治基盤を強化し民政の充実にも注力

血筋
北条氏綱の嫡男
出生地
相模国 小田原城
事績
1560年頃 山中城 築城

1575年 ~ 1603年

安土桃山時代の人々

武田晴信(1521年~1573年)

甲斐の守護大名、戦国大名、法名は信玄

甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領し領国を拡大

血筋
武田信虎の嫡男
出生地
甲斐国 積翠寺
事績
1555年 御本尊様を含め 善光寺 を組織ごと甲斐府中に移す

太田資正(1522年~1591年)

武蔵国岩付城城主

血筋
太田資頼の子(摂津源氏の流れ)
曽祖父は太田道灌
出生地
武蔵国

豊臣秀吉(1537年~1598年)

武将、大名、天下人、(初代)武家関白、太閤

血筋
木下弥右衛門(足軽、農民、あるいはその他下層階級)の子
出生地
尾張国中村郷
事績
1598年 善光寺 御本尊様を京都方広寺から善光寺に戻す

北条氏政(1538年~1590年)

後北条氏の第4代当主で、北条氏の勢力拡大に務め最大版図を築いた武将

血筋
北条氏康の次男だが兄夭逝のため世子となり家督を継ぐ
母は今川氏の娘で、正室は武田信玄の娘
弟に北条氏邦北条氏照
嫡男の北条氏直が小田原城を開城
出生地
相模国 小田原城
事績
1584年 金山城を謀略により開城、北条氏支配下に置く
1587年 山中城 改修工事開始

北条氏照(1540年~1590年)

北条宗家を支え諸勢力との外交・折衝に尽力した武将

血筋
北条氏康の3男
兄に4代当主の北条氏政、弟に北条氏邦
小田原城を開城した北条氏直は甥にあたる
出生地
相模国 小田原城
事績
1587年 八王子城築城、滝山城より拠点を移す

北条氏邦(1541年~1597年)

藤田康邦の娘婿となり藤田家の家督を継ぎ、北条宗家を支える北関東上野方面の軍事を担当

血筋
北条氏康の4男
兄に4代当主の北条氏政、3男氏照
小田原城を開城した北条氏直は甥にあたる
出生地
相模国 小田原城
事績
1564年 鉢形城に入城
1582年 北条氏 箕輪城 侵攻攻略、氏邦入城

堀尾吉晴(1544年~1611年)

豊臣政権三中老の1人

血筋
堀尾泰晴の長男
堀尾泰晴は尾張国上四郡の守護代・岩倉織田氏の織田信安に仕えた重職
出生地
尾張国丹羽郡御供所村(現在の愛知県丹羽郡大口町豊田)
事績
1611年 松江城を5年の歳月をかけて完成

井伊直政(1561年~1602年)

譜代大名筆頭となる井伊家の基礎を築いた徳川四天王の1人

血筋
井伊直親の長男
当時の井伊家当主は直親の従兄で養父でもある井伊直盛
直親は当主となる前に今川氏により謀殺、直政は直盛の孫の位置付け
出生地
遠江国祝田(現在の浜松市北区細江町中川)
事績
1590年 箕輪城 に入場(12万石)
1598年 高崎城へ移封にともない 箕輪城 廃城
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