関東の古寺とその歴史

坂東三十三観音巡り - 結願御礼 - 善光寺

番外 定額山 善光寺

堂々たる国宝の本堂、広大な境内

日本最古の仏像をご本尊にいただくその歴史

西国、坂東からも遠くにありながら厚い信仰

阿弥陀如来の脇侍の観音菩薩に導かれて結願御礼

宗派を問わず男女を問わず広く民衆を救済

江戸期の泰平の世の中全国から多くの人が参詣に

牛に引かれて善光寺、一生に一度は善光寺参り

今でも語られ続く人気の観光名所

由緒

創建
644年 勅願により伽藍造営
本尊
一光三尊阿弥陀如来

538年 仏教伝来の折にインドから百済経由で日本へ伝えられた日本最古の仏像

寺歴
642年 信濃国司の従者 本田善光 御本尊 一光三尊阿弥陀如像を現在の地に遷座
1555年 武田信玄 御本尊様を含め善光寺を組織ごと甲斐府中に移す
1598年 豊臣秀吉 御本尊様を京都方広寺から善光寺に戻す
1707年 現在の本堂落成

参詣記

参詣日
2016年12月16日
交通
北向観音からクルマで1時間20分程度
以下雑記

日本忠霊殿

戊辰戦争から第二次大戦までの240万余柱の英霊を祀る仏式霊廟

寺院版の靖国神社のようなもの?

1970年建立

鐘楼、ペリーの黒船来航(1853年)と同時期に建立

梵鐘は江戸初期(1667年)鋳造です

ご本尊様が戻ってきた後に造られたことになります

元の梵鐘は信玄が移した甲斐善光寺に残されているそうです

山門、境内からと参道から

参道側からみると善光寺の額が見えます

3文字の中に鳩が隠されてるので鳩字の額と呼ばれます

また「善」の一字が牛の顔に見えるとも言われてます

牛に引かれて善光寺ですね

濡れ仏(延命地蔵尊)

六十六部の供養のため江戸時代に造立

六十六部は法華経を全国60余国の霊場に納め歩いた巡礼行者

善光寺如来を背負って諸国行脚する善光寺行者との密接な関係からここに造立か

他に、八百屋お七の慰霊という伝承から「八百屋お七の濡れ仏」とも

六地蔵

六道のそれぞれの境涯で衆生を救済するために配されるお地蔵様

六道とは地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道

人は死後に生前の行いにより六道のどこかに転生、輪廻するといわれる

現在の六地蔵は戦後に再興、元のものは戦時中に供出の憂き目に

善光寺 仲見世通り

向こうに仁王門が見えます

左側の「たきや」でお蕎麦をいただきました

実はクルマをたまたま善光寺西側のたきや西店の駐車場に停めました

たきやのホームページを見てみるとお店を利用した場合は駐車料金が無料に!知らなかった!

世尊院 小御堂

釈迦涅槃像が祀られているところから釈迦堂と呼ばれてます

御本尊様と一緒に戦国期に各地を流転されたそうです

仲見世通りからちょっと入ったところで残念ながらお参りはしませんでした

仁王門

定額山の扁額は伏見宮貞愛親王の筆

大正初期に内大臣、元帥陸軍大将になられた方です

本坊 大本願

創建時から続く尼僧寺院

代々の住職は善光寺上人と呼ばれます

浄土宗大本山

善光寺を大勧進とともに運営

本坊 大勧進 放生池

縄文時代の種から蘇った大賀蓮の池です

大勧進は天台宗大本山で住職は貫主と呼ばれます

大本願とともに善光寺の運営にあたっています

授与品所・勧募窓口

御朱印はここでいただきます

御守、数珠、線香などもいろいろあります

寺院概略

所在地
長野県長野市元善町491
最寄IC
上信越道 長野ICから30分程度
納経時間
8:00〜16:00(季節により変動)
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