日本の名城とその歴史

日本100名城巡り - 江戸城

21番 江戸城

言わずと知れた天下最大の城郭

徳川将軍家の権威、威圧感が漂う空間

本丸御殿跡に立つと改めて実感する江戸城

往時はここに松の廊下、大奥など壮麗な建物が

歴代幕閣と大名が繰り広げた儀礼、典礼、政争が蘇る

東京駅にほど近くいつでも行けそうでなかなか行かない

庭園も整備されていて一度はじっくりのんびり訪れたい

由緒

築城
1457年 太田道灌 により築城
歴代主要城主
太田氏、扇谷上杉氏、北条氏、徳川氏、皇室、宮内庁
変遷
1160年 前後に、武蔵江戸氏初代当主 江戸重継 この地に居館を築造
1524年 北条氏綱 の支配下にはいる
1590年 徳川家康 入城
1657年 明暦の大火により天守を含めた城構の多くを焼失
開城
1868年 明治新政府軍に無血開城

登城記

登城日
2017年 6月17日
交通
新橋駅から徒歩30分程度 - 桜田門から
以下雑記

桜田門と枡形

正式には外桜田門

桜田門は2つの門で桝形を構成

外側の入口が高麗門

桝形の先が渡櫓門

伏見櫓

皇居正門石橋を含めた写真は皇居の定番スポットですね

正門石橋は二重橋ではありません(通称は眼鏡橋)

二重橋は奥に見える伏見櫓に続く皇居正門鉄橋です

当初は木の橋を二重に重ねた橋だったのが謂れです

皇居正門

ここは昔の西の丸大手門にあたります

桜田門にあったように外側に高麗門があったそうです

高麗門では皇居正門の威厳が保てませんからね

撤去の憂き目にあい櫓門のみ残されたのが今の姿です

坂下門

今は宮内庁への出入り口

ここで桜田門外に続いて坂下門外の変がありました

老中安藤信正が水戸浪士たちに襲われた事件です

桔梗門(正式には内桜田門)

太田道灌の桔梗紋が屋根瓦に残っていたのが謂れのようです

三の丸に入る南門で幕府の要職者が登下城する門でした

この門もカギ型に配置された2つの門の桝形門です

桜田巽櫓(桜田二重櫓)

本丸の東南(辰巳=巽)が名の由来

三の丸の隅角に建てらた隅櫓

関東大震災で損壊、後に解体復元されたもの

和田倉噴水方面に回ってみると奥に富士見櫓

大手門(高麗門と渡櫓門からなる桝形門)

江戸城の正門で、ここから三の丸に入ります

諸大名の登城、勅使の参向、将軍の出入りもここからでした

今は本丸のあった皇居東御苑へのメインゲートです

旧大手門渡櫓の鯱

今の大手門は戦災で焼失後、1966年に再建されたものです

焼失前の大手門は1659年に建造されたものだったようです

この鯱には明暦三丁酉(1657年)の刻印がありその当時からの変遷を見てきたんですね

ちなみに1657年は明暦の大火(振袖火事)があった年です

大手門の桝形

ちょっとパノラマのゆがみがきつい

三の丸から見た大手門と三の丸尚蔵館

昭和天皇崩御後、皇室財産を私有と国有に整理分類

尚蔵館は国に寄贈された美術品類約6,000点収蔵のため建設

狭いながらも展示室もあり一般公開されている

その後も皇族から寄贈品があり、1万点近くを収蔵

大手三の門跡と同心番所

大手三の門も桝形門で、ここは外側を支える一の門

御三家以外の大名もここからは徒歩で下乗門とも

主を待つ供回りが他家との情報交換で下馬評もここが発祥

今の同心番所は江戸後期の建物を桝形内に移設、修理復元

大手三の門の内側の渡櫓門石垣とその先の百人番所

百人番所は江戸時代から残る遺構で50mを超える長さ

鉄砲百人組の4組が交代で与力20人、同心100人で常時警護

本丸、二の丸への入り口の護りを固める江戸城最大の検問所

中之門跡と大番所

中之門の石垣は巨石が隙間なく積まれた見事なもの

本丸への登城の最後の検問所にふさわしい威圧感です

大番所は中之門を警備する身分の高い与力・同心の詰所

中雀門石垣

中雀門は御書院門とも呼ばれ、この門の先に本丸御殿玄関がありました

江戸末期の本丸御殿火災で焼失後は再建されてません

石垣にはそのときの黒く焼けた痕が残ってますね

また刻印が刻まれた石が積まれていることもよくわかります

富士見櫓

1657年 明暦の大火後再建された現存する唯一の3重櫓

この大火で焼失した天守閣の代用役として使われてきました

富士山や江戸湾、両国の花火などの眺望を楽しんだようです

太田道灌 の「精勝軒」があったところともいわれてます

本丸御殿跡方面

本丸御殿跡は今は芝生広場

富士見多聞

多聞は城郭石垣上の長屋

城壁よりも強固な防御施設

旧江戸城本丸で唯一現存

16年11月15日から内部も公開

石室

多門北側にある石作の蔵

内部は20平米ほどだとか

貴重品の避難庫という説が有力

天守台からの眺望

正面は本丸御殿の跡

表、中奥、大奥など豪壮林立

天守閣含め明暦の大火で焼失

保科正之 の英断は立派

北桔梗門

天守閣の背後を守護

本丸大奥から外部に直接通じる重要な門

桃華楽堂

1966年 香淳皇后のご還暦を記念して建てられた音楽堂

鉄仙の花弁を形どつた屋根のある八面体の建物

書陵部庁舎

皇室関係の図書や陵墓を管理

梅林坂

本丸と二の丸をつなぐ坂

太田道灌が菅原道真を祀り梅の木を数百株を植樹したことが名前の由来とか

現在は梅林坂の下から本丸方面にかけて50本ほど

平川門

江戸城の裏門で大奥女中達の出入りする通用門

将軍の家族とされる御三卿(清水・一橋・田安)はこの門から登城

別名、不浄門、罪人や遺体がここから外に出された門

高麗門(第一門)、渡櫓門(第二門)、木橋(城門形式一式)は江戸時代からのもの

汐見坂

明暦の大火の後、本丸の拡張工事で二の丸との間の堀を一部埋め立ててできた坂

坂の上から日比谷入江が望めたのが名前の由来

白鳥堀

本丸と二の丸の間を東西に隔てる堀

本丸との10mの段差を石垣で築き、堀と石垣で本丸を守護

家康の築城当初の石垣が見られるのはここだけ

諏訪の茶屋

江戸時代には吹上御苑近くにあった茶室

1912年に再建されたものを、二の丸庭園整備時に移築

二の丸庭園

当初 1636年 小堀遠州 造園

1968年に現在のかたちに整備

9代家重時代の回遊式庭園を復原

城跡概略

所在地
東京都千代田区千代田1-1
最寄駅
東京駅
開城時間
月曜、金曜は休園
3/1~4/14 9:00~16:00
4/15~8/31 9:00~16:30
9/1~10/30 9:00~16:00
11/1~2/28 9:00~15:30
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