日本の名城とその歴史

日本100名城巡り - 水戸城

14番 水戸城

御三家水戸徳川氏の居城跡

現存する建造物はほとんどない

残された空堀や土塁の一部から往時を想像

さすがに相当な規模なものの江戸定府もあってか簡素な感じも

ここは、光圀、斉昭、慶喜など歴代の人物を偲ぶところか

その意味でも見どころは三の丸に建つ弘道館かも

由緒

築城
1194年頃 馬場資幹により築城
歴代主要城主
大掾氏(馬場氏)、江戸氏、佐竹氏、徳川氏
変遷
1426年 江戸通房 大掾氏を敗り城主となる
1594年 佐竹義宣 江戸氏を敗走させ入城、居城とする
1602年 武田信吉 城主となる(15万石)
1603年 徳川頼宣 城主となる(20万石)
1609年 徳川頼房 城主となる(25万石)
廃城
1871年 廃藩置県により廃城

登城記

登城日
2015年 6月17日
交通
水戸駅から徒歩10分程度
以下雑記

水戸駅を出ると黄門様と助さん、格さんが歓迎してくれます

少し歩くと黄門様の神社が

義公生誕の地となってます

お生まれになった家老の家がこのあたりだったんでしょうね

近年有志の方々による建立です

水郡線

水戸城本丸と二の丸を隔てるの空堀の跡です

右が本丸で左が二ノ丸になります

柵町坂下門

二の丸の南側の出入り口です

つい最近復元整備されたようです

薬医門

水戸一高の校内にあります

現存する唯一の建造物で佐竹氏時代のものだそうです

本丸の表門と考えられてます

明治以後転々としましたが本丸入口近くのこの地に1981年に移築されました

杉山門と杉山坂

杉山門は二ノ丸の北口にあたります

杉山坂は藩主御殿のあった二の丸に通じる重要な坂でした

頼房による水戸城拡大改修時に拡幅整備されたそうです

このあたりも最近復元整備されたようです

二中見晴らし台

少し歩くとこの入口

中に入ると天覧記恩の碑

戦前陸軍演習の記念碑だとか

見晴台からの眺めは?

水戸城跡の大椎

水戸二中の外壁に割り込んで立っています

樹齢400年、当時から自生していたものとか

水戸城の盛衰、変容を見続けていたんですね

水戸市指定の天然記念物です

水戸城跡通り

きれいに整備されてます

杉山門から二の丸の中を通って三の丸に続きます

二の丸の道の両側は二中、三高、付属小など文教地区です

旧水戸彰考館跡と二の丸展示館

水戸二中の正門横にあります

彰考館は光圀公の大事業「大日本史」編纂場所ですね

展示館の目玉の大日本史は虫干しで展示されてませんでした

茨城百景の碑と徳川頼房公の像

二の丸の大手橋の前、大手門跡にあります

弘道館と水戸城址がセットで百景に選定されてます

頼房公の像にはその剛毅な性格が出てるような

大手橋と大手橋からの眺め

二の丸と三の丸をつなぐ

雄大な空堀と土塁はさすが

佐竹氏時代に築かれたとか

弘道館正門

二の丸から三の丸に大手橋を渡ると正面に見えます

日本最大の藩校

斉昭公の藩政改革にかける強い思いを感じます

弘道館への入口

スタンプは入館券と一緒に

弘道館を見学した後は隣接する弘道館公園へ

孔子廟

前に立つ木は孔子ゆかりの楷の木で、科挙合格祈願木とされ学問の木とも言われてます

日本に初めて移入されたのは1915年だそうです

学生警鐘

弘道館の学生に時を告げたり、事を知らせるためのもの

八卦堂

堂の中に弘道館記碑が納められてます

種梅記碑

斉昭は偕楽園と弘道館をはじめ、その近郊や士民の家にも梅の木を植えさせました

斉昭の梅に込めた思いが記されています

弘道館鹿島神社

弘道館の本開館式は鹿島神社の遷座祭と同時に行われました

今の社殿は伊勢神宮別宮「風日折宮」の旧殿一式が特別譲与され再建されたものです

最後に3の丸の周囲を巡りました

なかなかの空堀と土塁です

城跡概略

所在地
茨城県水戸市三の丸
100名城スタンプ
弘道館入館窓口
開館時間(弘道館)
9:00~17:00/2月20日~9月30日
9:00~16:30/10月1日~2月19日
休館日(弘道館)
12月29日~12月31日
ホームページ(弘道館)
弘道館
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