日本の名城とその歴史

日本100名城巡り - 武田氏館

25番 武田氏館

甲斐国守護武田氏の領国経営の本拠地「躑躅ヶ崎」の館跡

戦国大名の館としては屈指の規模だったという

最強武士団を誇った武田氏も時代の流れの中で瓦解していく

最後はここ躑躅ヶ崎も捨て去り再起を期すも滅亡の憂き目に

今は往時の面影を多少なりとも残し武田神社となっている

祭神は戦国最強の名将信玄公

周囲には有力家臣の居館跡も多数明示されている

整然と整備された城下町だった往時に思いを馳せる

由緒

築城
1519年 武田信虎 躑躅ヶ崎館の構築を始める
歴代主要城主
武田信虎、晴信、勝頼、河尻秀隆
変遷
1582年 武田勝頼 甲斐国政務拠点を躑躅ヶ崎館から新府城に移転
1582年 河尻秀隆 武田氏滅亡後、政務をとる
廃城
1590年 築城された甲府城への政務機能移転に伴い実質廃城
整備
1919年 跡地に武田神社創建

登城記

登城日
2014年12月10日
交通
甲府駅から徒歩30分
以下雑記

甲府駅からの途中、ちょっと寄り道して信玄公の墓へ

信玄公は死後3年を経て恵林寺で葬礼埋葬されました

その間死を隠しここに葬られていたと言われています

ここには県指定天然記念物のヤツブサウメがあります

1つの花に8つの実をつけるそうです

武田神社の前では発掘調査が行われていました

躑躅ヶ崎館の敷地は武田神社境内以上だったんでしょう

当時の姿の新たな一端がいろいろ分かるといいですね

正面入口

神社ですが、立派な石垣が威圧感を持って迫ります

周囲は堀に囲まれてます

拝殿

神社ですね

武田水琴窟と姫の井戸

生活の場所でもあったことが感じられます

甲陽武能殿

能舞台様式の神楽殿です

鎮座90年を記念しての2009年の造営だそうです

躑躅ヶ崎館の時代にも当然能舞台はあったでしょうね

西曲輪

信玄公の長男義信の居館があったところです

今川義元の娘を娶りましたが謀反の罪で自害させられました

西曲輪の北側の枡形虎口

虎口の南門跡と外側から見た枡形虎口と土橋

この辺りは武家の館の雰囲気がよく感じられます

御屋形様の散歩道

虎口から出ると散歩道が整備されてます

信玄公も歩いていたんでしょうか

大手門周辺ゾーン

ここが戦国時代の正面玄関に当たるところだったそうです

史跡武田氏館跡保存整備事業の第1期として整備されてます

整備事業は第4期まで計画もあるようです

武田氏館も今後さらに整備されていくことでしょう

宝物殿

スタンプはここで

境内から神橋、参道方向

そう言えばこの入口は神社造営時に造ったものです

こうした眺めは信玄公の時代にはなかったんですね

城跡概略

所在地
山梨県甲府市古府中町2611
100名城スタンプ
武田神社 宝物殿
開館時間
9:00~16:30(宝物殿)
休館日
無休
ホームページ
甲斐 武田神社
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