15番 足利氏館
雰囲気は城ではなく寺そのもの、名前も鑁阿寺
足利氏がここに居を構えたのは平安末期
平安から鎌倉の時代の武士の居宅を感じるにはいいか
持仏堂を建立した2代義兼の戒名から鑁阿寺という名前に
当初から寺の要素も含んだ居館
近くに足利学校もあり併せて坂東武士の時代に思いを馳せる
街並みも整備され落ち着いた感じの歴史観光地域
由緒
登城記
- 登城日
- 2014年 7月 9日
- 交通
- 太田駅近くのホテルからクルマで20分程度
- 以下雑記
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北門
4台分の駐車スペースがあり、ここにクルマを停めました
周囲は土塀と堀に囲まれてます
この風景が武士の居館という感じを多少醸し出しています
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本堂(国宝)裏側
北門から境内にはクルマで入っていけます
本堂裏側にはかなりの駐車スペースがあります
北門の狭いところに停める必要はなかったですね
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蛭子堂
足利義兼の夫人時子姫の菩提を弔うために建立
時子は夫の不在時に腹が膨れたため、妊娠、不義の疑いを掛けられ自害
時子の遺言に従い死後身体を改めると腹から大量の蛭が出て無実と判明
義兼は大いに悔み悲しんで時子を篤く弔ったという
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校倉
元来は宝物庫
宝物はその後他に移され足利家伝来の大黒天を祀りました
大黒堂とも呼ばれています
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大酉堂
足利尊氏公を祀るお堂
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御霊屋
霊廟です
本殿には源氏の祖神を祀られてます
社殿背後には足利義康と源義国の墓碑が建立されています
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西門付近
石積土塁が武家館らしい
足利義兼の創建とも
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経堂
内部に八角輪蔵が設置されていて一切経が保管されているとのこと
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不動堂
寺伝では足利義兼の創建で江戸時代に再修
ご本尊は成田山から勧請した霊験あらたかな不動明王
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開かずの古井戸
蛭子伝説で登場する井戸がこれだったとか
時子姫のお腹が膨らみだしたのは、侍女が汲んできた井戸の水を飲んでからでした
時子の無実が判明した後、義兼が二度と使うなと命じて開かずの井戸になったそうです
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大銀杏
樹齢550年と言われています
県指定の天然記念物です
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多宝塔
現存する中では日本で一番大きいそうです
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東門
西門同様、鎌倉初期の創建当時の武家造りの風格を偲ぶことができます
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山門
室町後期に足利将軍家により再建されたもの
正門としての規模と格式が感じられます
境内側から見ても重厚で立派な山門です
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鐘楼
1196年建立で当時のものが今に残されています
明治時代には国宝に指定されてました
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心字池
鐘楼を取り囲む庭園の中にあります
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本堂
2013年8月に国宝に指定されました
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その後は足利学校へ
綺麗に復元整備されてます
城跡概略
- 所在地
- 栃木県足利市家富町2220
- 100名城スタンプ
- 鑁阿寺本堂のお守り販売所
- ホームページ
- 鑁阿寺