日本の名城とその歴史

日本100名城巡り - 佐倉城

20番 佐倉城

佐倉城址公園として整備され気持ちよく散策できる

石垣がなく土塁で築かれた城だけに広々とした感じがいい

明治から戦前までは陸軍の駐屯地としてその姿を一変

居館、櫓など建造物も壊され地形も変わってしまったのが残念

今はここには国立歴史民俗博物館(歴博)も

歴博はとても一日では見きれないほど充実した展示で圧巻

由緒

築城
戦国時代中期 千葉氏一族の鹿島幹胤により原型となる城郭を築城
歴代主要城主
土井利勝、石川氏、松平氏、堀田氏など、10家20代の城主(そのうち7家9人が老中)
変遷
1617年 土井利勝 足かけ7年の歳月をかけて整備、拡張
1813年 盗賊の失火により天守焼失
廃城
1873年 新政府 陸軍駐屯地として接収

登城記

登城日
2014年 5月29日
外出を余儀なくされる日だったのでちょっと遠出して歴博とともに散策
交通
行き:京成佐倉駅から徒歩20分
帰り:JR佐倉駅へ30分
以下雑記

京成佐倉からの道筋の途中

丘の上に歴博が

台地に築かれた城という感じがよくわかります

この台地は鹿島山と呼ばれていたようです

千葉氏一族の鹿島氏がこの鹿島山に城郭を築いたのが佐倉城の始まりです

まずは歴史民俗博物館へ

たっぷり一日楽しめますがこの日は短時間でざっと見学

中身の濃い、いい提示内容だけど見学者はまばら

場所の問題もあるかもしれないけどもったいない

歴博は明治百年記念事業の一環として設立されたそうです

馬出し空濠

歴博のすぐ横にあります

きれいに復元されていて往時の雰囲気が感じられます

家老の娘をあやまって池に落としてしまった姥が身を投げたと伝えられてます

姥が池から菖蒲園方面

ここに陸軍佐倉連隊駐屯地の遺構があります

兵士が高所からの飛び降り訓練に使用したもの

コンクリート製で撤去するのが大変だったんでしょうね

馬出し空堀から本丸方面へ

椎木門跡

この門の前に馬出しがありその前に馬出し空濠があったんですね

明治以降は、右手の地域に陸軍病院が建てられていたようです

今は臨時駐車場にも使われるようです(きっとサクラの季節でしょうね)

佐倉城の礎石

臨時駐車場の地域を先に進んだところにあります

当時は年貢米蔵や城米蔵があったところあたりかな?

佐倉城の建物が壊された後は陸軍の兵舎を支えていたんでしょうね

一の門跡から本丸跡方面

一の門は本丸から見たはじめての門

門内の本丸には天守閣、銅櫓、角櫓、御殿などがあったそうです

台所門跡あたりから天守閣跡方面

土塁で囲まれた本丸の雰囲気が感じられます

天守台

意外に小さい

3層の天守閣が建ってました

出丸跡への道

台所門跡を出たところから降りていきます

降りたところをさらに左に降りていったところに出丸跡

ここから右に行くと帯曲輪です

出丸跡

出丸は2つありました

ここは南側の出丸跡

北側の出丸跡は今回は行けませんでした

本丸を囲んで、延長約260m、幅4m~5mあったそうです

城の根方から攻め上げられたとき、まずはにここで防戦しようとしたんでしょうね

ここまで敵がきたときには、上から石を投げ下ろして反撃する用意もあったようです

二の門跡

本丸から大手門に至る第2の門

門内が二の丸で藩政を執る役所が置かれていたそうです

二の門跡を過ぎるとハリスと堀田正睦の銅像が

堀田正睦像は佐倉ライオンズクラブの40周年記念事業

ハリス像は日米修好通商条約締結150周年の記念事業

それぞれ2006年と2008年の建立だそうです

老中失脚の一因となった条約締結問題が思いやられます

この条約から井伊大老時代となり一気に幕末動乱に

三の丸跡にある茶室の三逕亭

大徳寺塔頭の孤篷庵忘筌の間を模したものだそうです

以前は乃木神社にあったもので1983年に移築されました

三逕(三つの道)が出会うところにあります

三の門跡と三の丸跡

門内の三の丸には家老屋敷があったそうです

三の門前の空堀

城の防御のために土塁とともに築かれたんでしょうね

佐倉城址公園センター

不安になりますが、スタンプはここで

多少の展示もあります

JR佐倉駅への帰り道に武家屋敷通りに立ち寄り

いい感じです

児玉源太郎旧宅跡もあります

城跡概略

所在地
佐倉市城内町官有無番地
100名城スタンプ
佐倉城址公園管理センター
ホームページ
佐倉城・100名城スタンプラリーについて
inserted by FC2 system